会社員40年、年金生活10年、そして今。~秋田世豪

会社員40年、年金生活10年で体験してきたこと、感じてきたことを綴ります。昭和・平成・令和の日々。~秋田世豪のシニアブログ、リタイアブログ

入社直後に経験したオイルショック:秋田世豪


「新社会人としてスタートした年に経験したオイルショックについて」(秋田世豪)


オイルショックは、就職したばかりの1973年(昭和48年)に直撃を受けました。入社した会社がひっくり返るようなダメージを受けました。

オイルショックとは

オイルショックとは、1973年(第1次)と1979年(第2次)の2回にわたって起きた「石油不足」です。

1973年10月6日に第4次中東戦争が勃発しました。同月16日にアラブ産油国原油価格引き上げ、生産制限、供給制限を決定し、戦略物資としての石油の重要性が再認識されました。1979年はイラン革命による混乱で産油国が大幅値上げを決定しました。第1次オイルショックでは原油価格が4倍、第2次では3倍に跳ね上がりました。物価は前年同月比20%というハイペースで上昇、石油節約のために街頭のネオン点灯やテレビの放送時間までもが短縮されました。

1973年の第4次中東戦争勃発時には、後の狂乱物価、トイレットペーパー騒動の大混乱は予測されていなかったフシがあります。なにしろそれまでは所得倍増計画を前倒しで実現したほどの奇跡の高度成長期でした。2年前のドルショックにも、輸出産業は耐え抜きました。

高度成長時代の終焉

アラブの産油国が石油供給の削減という強力な戦略を打ち出してからも、しばらくの間、政府の反応は鈍かったです。石油あるいはエネルギーの消費規制について、通産省(現:経済産業省)は10月末ごろまで、少なくとも公式にはその必要はまだないという態度を保持していました。

1974年度の経済成長率は戦後初のマイナスに転じました。オイルショックを契機に石油備蓄法が制定され、省エネ、脱化石燃料の動きがスタートしました。そして、1973年をもって高度成長時代は終焉を迎えました。

大学卒業・新卒入社から30年間の世の中の年表

1998年日本版金融ビッグバン長野オリンピック1999年日産がルノーの傘下入りユーロ導入開始2000年九州・沖縄サミット三宅島噴火2001年米国同時多発テロ中央省庁再編2002年日韓共催サッカーワールドカップ小泉純一郎首相が訪朝

出来事 社会・流行
1973年 第1次オイルショック 変動相場制移行
1974年 田中角栄金権批判 三菱重工ビル爆破事件
1975年 第1回サミット開催 沖縄国際海洋博覧会
1976年 ロッキード事件 北ベトナム統一
1977年 日本赤軍日航機ハイジャック 王貞治、ホームラン世界記録
1978年 日中平和友好条約調印 成田空港開港
1979年 第2次オイルショック 国公立大学共通1次試験スタート
1980年 モスクワオリンピックボイコット 韓国全土に戒厳令
1981年 中国残留日本人孤児、来日始まる ポートピア81開催
1982年 東北・上越新幹線開業 ホテルニュージャパン火災
1983年 大韓航空機撃墜事件 東京ディズニーランド開園
1984 グリコ・森永事件 ロス疑惑
1985年 プラザ合意 日航機墜落
1986年 チェルノブイリ原発事故 男女雇用機会均等法施行
1987年 公示地価急騰 JR6社発足
1988年 牛肉・オレンジ輸入自由化 リクルート事件
1989年 消費税スタート ベルリンの壁崩壊
1990年 ソ連大統領制導入 大学入試センター試験スタート
1991年 湾岸戦争 雲仙普賢岳火砕流発生
1992年 PKO部隊の第1陣が海外派遣 公務員の週休2日制開始
1993年 非自民連立で細川内閣発足 サッカーJリーグ発足
1994年 自社さ連立で村山内閣発足 関西国際空港開港
1995年 1ドル80円割れ 阪神淡路大震災地下鉄サリン事件
1996年 消費税5%に引き上げ決定 エイズ薬害問題
1997年 山一・拓銀経営破綻 香港返還